以前も物議を醸したらしいが、最近「きっこの日記」でリンクが貼られ、話題になっている
官邸のページ。
「きっこの日記」を読むと、これが現政権下で決定された事柄の様に誤解してしまう恐れがあるが、実際はは平成12年の森内閣時代に行われた、「教育改革国民会議」
での発言を(恐らく全てではないと思うが)まとめた資料だ。
ここには数々の「トンデモ発言」が飛び出す。
・生かされて生きることを自覚せよ
・団地、マンション等に「床の間」を作る
・遠足でバスを使わせない、お寺で3〜5時間座らせる等の「我慢の教育」をする
・地域の偉人の副読本を作成・配布する
・簡素な宿舎で約2週間共同生活を行い肉体労働をする
・満18歳で全ての国民に1年ないし2年間の奉仕活動を義務づける
・バーチャル・リアリティは悪であるということをハッキリと言う
・国民会議の提言を広く国民に知らせるための積極的な活動
・名刺に信念を書くなど、大人一人一人が座右の銘、信念を明示する
など、かつて取りざたされた「トンデモ校則」みたいな項目に紛れて、
・子どもを厳しく「飼い馴らす」必要があることを国民にアピールして覚悟してもらう
・「ここで時代が変わった」「変わらないと日本が滅びる」というようなことをアナウンスし、ショック療法を行う
・警察OBを学校に常駐させる など、背筋が寒くなる様な文章が散見される。不思議なことに「委員発言の概要」とあるのに、当然出たであろうこれらトンデモ発言に対する反対意見は
記載されていない。
その後取り纏められた中間報告書が
これ。
この中には、表現が薄められているものの、明らかに先の資料の精神をそのまま受け継いだ条文が数多く存在する。
私たち人間はすべて生かされて生きている。
誰があなた達に、炊き立てのご飯を食べられるようにしてくれたか。誰があなた達に冷えたビールを飲める体制を作ってくれたか。そして何よりも、誰が安らかな眠りや、週末の旅行を可能なものにしてくれたか。私たちは誰もが、そのことに感謝を忘れないことだ。
誰が何を指しているかは明らかだ。それが「個人としての親」であるならば、「体制」という単語は必要ない。
他にも、表現が薄められてはいるけれど、あの「トンデモ発言」を下敷きにした条文が並ぶ。流石に「床の間」はないが。
共同生活による奉仕活動などの義務化 (まず小・中2週間、高校1ヶ月とし、 将来的には満18歳の全ての国民に1年間の奉仕期間を設定)。
授業において古典、歴史を重視。
10年ちょっとくらい前には存在した、現代史の方が重要という議論、どこへ消えてしまったんだろう。歴史も古典も重要だとは思うが、自分の受けた教育を振り返ってみると、国語も社会も既に古典重視、明治までの歴史重視。特に戦争へと向かう現代史、戦後史はいつも駆け足で、それこそさわりだけしか学んでいなかった。
社会人がその経験を生かし、学校教育に参加できる制度の充実。
「警察OB」も、もちろん社会人だ。
さらに、この一文も気になる。
教育に関する従来の惰性的気風を一気に打ち破るための社会的ショック療法として、教育基本法の改正が必要である。
そして、これが
最終報告であろうもの。
更にオブラートに包まれ、美麗字句に修飾され、軟らかい表現、受け入れられやすい表現になっているけれど、トンデモ発言の残滓は明らかに残っている。全員ではない様だが、同じメンバーによって作成されたものである故、当然と言えば当然だが。
その後、この報告書とは異なるベクトルで、新教育基本法に関する議論が行われたと言う資料は見あたらないので、この報告書が新教育基本法の背景にあると見て良いだろう、むしろ「愛国心教育」など具体的な単語が入ったことで、より以前の段階に立ち返った部分もあるのかも知れない。特に、
誰があなた達に冷えたビールを飲める体制を作ってくれたか。
この文言の精神が最後まで強力に幅を利かせている様に思えてならない。
恐ろしさを感じるのは無論だが、新教育基本法案の叩き台に、あのような低レベルのトンデモ発言があり、それが臆面もなく公開されていることに、恐れを通り越して、むしろ呆れてしまう。いや、あの資料を公開し続けてくれたことに、大いに感謝すべきかも知れない。
ある意味難癖になるかも知れないが、普通「この資料の内容は各委員の個人的見解であり、官邸の意志を代表するものではありません」って付け加えるだろうと思う。それが無いってことはやはり・・・・・なんてね。
posted by ubuman at 11:58|
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