2014年07月26日

ブラック企業だった(その3=最終回)

  フランスに限らず日本でも、いや日本のほうが多いかも知れませんが、企業の経営者には、自分の金と会社の金の区別がつけられない人がいますね。
  私がいた会社も同じく。それで多くの社員がうんざりしてました。自分達の給料の倍以上するような調度品を社費で購入して、それが会社に届いた日にゃあ・・・
  社用車も、社長夫人が私物化していて、必要な時に社員が使えないという始末。そりゃみんな、やる気なくなりますよね。

   でも、フランスではCDIと呼ばれる終身雇用契約を結ぶと、雇われた側は非常に強い立場になり、余程会社に損害を与えない限り、解雇されることもありませんし(損害を与えたと会社が判断しても、会社はそれを証明する義務があります)、給料は毎年少しずつ上がります。この身分は、普通手放しませんが、それでも辞めていく同僚が跡を絶たないのです。
   前回書きましたが、外国人を雇って、フランス政府が外国人に課す義務の遂行(市民セミナーの受講、仏語教室に通うなど)を勤務時間内にすることを一切認めなかったくせに、自分が株主達から要求された経営のノウハウセミナーには、平気で勤務時間内に通ってましたねー。同僚、あいつはそんなもんだと誰一人驚いてませんでしたが。

   私も、これはもう我慢できないという出来事を経験し、それで退職し、フリーランスに戻る決心をしました。ヨーロッパではシンセシストとしてのバックグラウンドを持っていなかったので、非常に勇気のいる決断でしたが、結果的にはそうして良かったです。

   正式に契約する以前の話なのですが、タコ社長から次期ソフトシンセ開発のために、その実機を日本の知り合いから借りられないかと訊かれました。たまたまそれを所有するヴィンテージシンセ・コレクターの知人がいたので、その人に頼んで長期貸出をしてもらいました。つまり私が楽器国際間レンタルの仲介をした形です。その期間およそ一年。
   貸してくれた側は、まずオーバーホールに出し、そこから直接発送してくれたので状態は非常によく、ヴィンテージ機種なので、輸送の振動のせいか、一部に若干の接触不良があった程度。
   ところが製品が完成し、実機返却に際して突然、レンタル料を払わないと言い出したのです。強欲タコは。

   どうやら今までも、借りた機材のレンタル料金を払ったことがないらしく、もうヨーロッパ内では貸してくれるところがなくなって、外国人の私に頼んだ、と言う次第。
   実は私が来て暫くして、突然来なくなってしまった渉外担当は、このレンタル料踏み倒しなどに対するクレーム処理で、ストレスの極限にあったらしいのです。
   それはさておき、日本の知人が提示したレンタル料というのは、それはそれは安くて、お友達価格どころじゃない。大事なコレクションを丸一年も手放していたことを思えば、上乗せを提案してもいいくらいの額です。にも関わらずこのタコは、自社の製品を無償提供するからそれで支払いに代える。今でもずっとそうしてきたと言って譲らず、挙句の果ては「到着した時、シンセは壊れていて、修理に大金を払った。だからレンタル料払えない」と言う嘘を書いたメールを、貸主に送りつける始末(!)。
   貸した方もさすがに怒りますが、その怒りの矛先、責任追及はは何故か私に向きます。これ、よくある話なのですが、日本人をコーディネーターとして間に入れた、日本人と外国との取引でトラブった場合、日本側が攻めるのは決まって日本人コーディネーターなんですよね。言葉が通じるので言い易いんでしょうね、きっと。その時はさすがに困り果てて、今の私なら絶対に言わないだろうと思うのですが、自分が責任をとって少しずつ払うと言っちゃいました。私も、根っこの部分は見事に日本人ですね。
   しかし、さすがに先方も「いやそれはあなたが負担する筋のものではない」と言ってくれたのですが、問題は絶対に払わないと言っているものをどうやって払わせるか。その時の私は雇われている立場ですからね。
   で、一計を案じました。info@... service@... admin@... support@... webmaster@... sales@...など、どこの企業でも必ず持っているであろうメアド宛に、私が作成した「お宅の社長、こんなこと言って、レンタル料払わないって言うけど、到着時の動作チェックでは故障箇所などなかったって、報告貰ってるんだよね。これ何かの間違いなんでないかい?」と言う文書を同報メールで送って貰ったのです。こうすれば、社員の大部分にこの大嘘が知れ渡ります。これを通せばいくら強欲タコ社長でも、社員の軽蔑を免れない(とっくに軽蔑されきっているのですが、本人は気づいていませんw)。結果は大成功。彼は代金を支払いました。

   一件落着してほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、この支払い分を取り戻そうとしたんでしょう。私の契約2年目を迎えるにあたって、とんでも無いことを言い出したのです。私との契約をフランスで定める最低労働日数に短縮し、基本給を下げる代わりに差額を日本から(架空の名目を作って)請求しろ、と。当然違法です。こんな条件飲んで労働局にバレたら、強制送還ものです。でもタコは、この条件を飲まないと契約更新しない(つまり解雇)、と。
   契約日数を減らし、基本給を下げるということは当然、会社が支払う雇用税や社会保障費などが大幅に削減できる上、経費精算分としての支払いは、そのまま会社の必要経費に出来ます。つまり他の外国人社員同様、私も脱税の道具として利用しようと企んでいたのです。辞めるちょっと前私は彼に「スクルージ」とあだ名を付けましたが、ディケンズを知っている同僚があまりおらず、浸透しませんでした(笑)
   勿論CDIと言う契約では、こんな条件飲まないからといって、社員の首は切れません。だいたい条件が犯罪ですからね。まだこっちに来て一年で、私がフランスのそういう仕組を良く知らないだろうと踏んで突きつけた条件なんでしょうね。契約書もフランス語だし。彼は社員同士の横の連携が非常に強く、常に情報を交換しあっていることなど、想像出来ていなかったらしいのです。ところが、必要な情報は同僚からどんどん入ってくる。ボスが酷いと、子分が結束するのは世の定めです。

   CDI契約の社員を辞めさせたい場合は、経営側はその社員が会社に損害を与えた事実を証明しなければなりません。そんな事実がある筈もないので、私はその違法な条件を拒否するだけで良かったのですが、もう既にここを辞めてフリーになる決心を固めており、「かつてこの会社に在籍た元同僚のネットワーク」を使って、ヨーロッパ中のシンセメーカーや専門誌などにコンタクト付けて、独立後の仕事についてはある程度感触掴んでいたのです。家族を説得するのに、ちょっと苦心しましたが(そりゃそうです。不安感じて当然です)。

   私がそんな条件飲めないから辞めるよ、とタコ社長に告げた時、彼は非常にビックリしてました。全く予想外のリアクションだったようです。そりゃそうです。日本からフランスに来て1年ちょっとで、独立してやっていけるなんて普通想像しません。しまいには「君はフランスに居住権を得るために会社を利用したのか?」とまで言い出す。「これはあんたが始めた話だ、私はそれを受けただけだ」と切り返して黙らせましたが。
   最後は「君は勇敢だ」と持ち上げだしましたよ(笑)。
   しかし退職に必要な書類作成の際、退職手当(まあ、退職金のようなものです)を返納したら、この先も仕事依頼するけど、どお? というのです。これについては、すでに元同僚から絶対に乗るなと言われていたので拒否。なんとこの男、常にその手で退職手当を取り返していたそうなのです。取り返した金は当然、会社ではなく、こいつの懐に収まったでしょうね。
   私の数カ月後に退職した同僚は、この件を持って、労働監督局に訴えました。しかしこれを証明する物証が出なかったのか、これで咎められたという話は今日まで聞いていません。なにせ、本当にやばい話になると、絶対に彼はメールを使わず、全て口頭でやってましたから。本人が、証拠を残したくないからこういう話はメールではやりとりしないと言ってたんです。なんと狡猾な。
   因みにこの訴えた元同僚は現在、市議選に当選して、市会議員を務めてます。

   私の前任だったサウンドデザイナーは、時々助っ人として呼ばれていたのですが、一度もその報酬が支払われなかったらしく、ある時を境に、二度と来なくなりました。もう最低。
   彼は今、音楽や楽器産業と決別し、市営バスの運転手しています。素晴らしいサウンドデザイナーでミュージシャンなのに、やめてしまったのは残念です。
  因みに、同じく変な条件付きつけられて、腹立てて辞めた非フランス人元同僚も、辞める時タコが狼狽えたと証言してました。移籍した先の会社に、よくも引き抜来ぬいたな、とクレームを付けたという話も聞きました。実際は引き抜きでもなんでもないのですが。
   私が退職した同じ年に、更に4人が去りました。その後の2年間で知っている同僚が更に3人辞め、最近聞いたのですが、私が辞めた後入って来て、一年で去っていった人もいるそうです。やれやれ。

   でも、この「強欲」を絵に描いたような人物のお陰で、それはそれは強い絆で結ばれた、信頼できる友人が、たくさん出来たのです。私の仕事内容を最初から理解している会計士なんて、探したってまずいませんから。
 その部分には感謝しよう。
(完)
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2014年07月22日

ブラック企業だった(その2)

 前回の記事から大幅に時間が空いてしまいました。嫌な過去って振り返りたくないので、ついつい先延ばしにしてしまったのですね。

 さて、10月末のギリギリまで、アパートの契約が終了せず、フランスに来て寝泊まりの場所はあるのかと、ヤキモキさせられましたが、ようやくそれも終了し、渡仏して人生初の会社員生活が始まります。
 前回は契約書にサインするまでは、至れり尽くせりな事を言っていたタコ社長が、契約完了と同時に手のひら返した所までを書きました。その続きです。

 例えばフランスで働き始めた外国人は、まず移民局で手続きをした後、健康診断を受け、その後フランス市民としての講習を受けたり、フランス語学校に通わねばならないなど、様々な義務を課せられます。これをスキップすると滞在資格失います。フランス語の試験も、落ちても追試は受けられるものの、その後のレッスンと受験は有料になります。
 フランス語のレッスンは、移民局への登録手続きと健康診断の後、二度の市民講習を受け、翌2011年の4月か5月から始まりました。家族は4月7日に合流したので、その後のことです。

 初めは、昼間の週四日間一日4時間レッスンで二ヶ月のコースに振られたのですが、これは勤務時間の半分が取られてしまうため、週二日、一日2時間レッスンで4ヶ月の夜間コースに変更せねばなりませんでした。不思議なことに、雇用された外国人は、このレッスンに通う義務があるのだけれど、雇用側には、通わせる義務はないのです。ここがフランスの制度の不思議。どう考えても片手落ち。
 しかし、夜間のコースも夕方5時に仕事が終わる前提で、5時半開始。
 しかししかし、私が契約した会社、終業が午後6時。つまり一時間の強制残業(厳密には違法です。勿論)。後でわかったのだけれど、昼食休憩の1時間を拘束時間と見なしたくないが為、強欲タコが労働法のグレーゾーンを利用して定めた就労時間なのです。前年に試験的に来た時は5時終業でしたからね。
 社員達はだから当然、タコ社長が不在な日はさっさと5時に帰宅します。昼休憩だって、1時間で帰ってくる人間などいません。タイムカードのない世界では、まあ、この様な決まりなどどうにでもなります。
 元に戻して、私が午後5時30分からレッスンを受けるためには、4時45分には会社を出ないと、間に合わない。するとタコ社長、その分早出するか、レッスンのない日に残業して調整しろと言いだす。
 実際、レッスンが始まってからこの件をクラスメート達に訊いたら、流石にそんな事言う会社は一社もありませんでしたよ。外国人雇っておきながら、フランス社会が外国人に与える義務を果たすことに対し、会社は一切協力しないって、ちょっと凄いです。日本では凄くないかもしれないけど、どうなんだろう。

 他にも、会社が勤務時間中に行く事を認めたのは、最初の移民局だけ。これは同僚の会計総務担当者に付き添って貰う必要があったから、他の社員たちの手前もあり、仕方がなかったのですね。その後の役所手続きなどは、全て有給をとって行かねばならなかったのです。
 この会社には、かつても外国籍社員はいたし、私の同僚にもいました。フランスでは外国人を雇用する時に、何千ユーロか政府に収めねばならないのですが、この強欲社長、なんとこれを外国人社員の給料から差し引いて返納させていたというのです。これ、完全に違法。この場合の外国人というのはEU圏外の国籍を持つものです。フランスに居続けたいという彼らの気持ちを利用して、このように阿漕なことをしていたのです。私はこれを要求されることはなかったのですが、それは、この額を差し引けば、多分最初に約束した報酬条件を下回ることになるからで、その時合意した報酬額のプリントをお互い一枚ずつ持っていたからだと思います。

 また別の外国人社員(エンジニア)はもっと酷い扱いを受けています。彼はここグルノーブルではなく、パリで仕事をしていたのですが、社員でいるあいだじゅう、インターン(研修社員)扱いで給料は月々僅か数百ユーロ。他の報酬は楽器や機材購入費、パリ出張所維持費と言う形で支払われていたのです。目的は税金逃れ。勿論、例の外国人登録費用もきっちり引かれたそうです。ほとんど山椒大夫企業。これも完全違法どころか、詐欺なんですよね。その彼も、私と契約する少し前に、退職しました。フランスに来る前に顔合わせて、来た時には辞めていた、あるいは来た後すぐに辞めて行った同僚の数はこの時点で6人。社員総数20人に満たない会社で。

 しかし、この強欲社長の振る舞いによって、私もその後、相当悩まされることになります。
 あ、そうそう、2011年の3月には勤務年数の長い、渉外担当(アメリカでトヨタの重役秘書経験があり、英語も堪能で日本語も話せる)の女性が、3月のある日突然会社に来なくなりました。彼女を激怒させた発言がタコの口から出たせいだと聞きましたが、それだけではなく、積もりに積もった怒りが爆発したようです。その一例が、アメリカの楽器見本市NAMMショーで、親しくなった隣のブースの人が、撤収を手伝ってくれたので、その御礼にと、夜食のハンバーガーをその人の分も買って渡した。するとタコは、その代金を回収するよう彼女に命じたというのです。そんなことは恥ずかしくて出来ないと、彼女気の毒に自腹を切ったそうです。

 月末には、経理総務担当が辞めました。彼女は今、私の会計士をやってくれています。
 2009年の秋に入社したCTOを務めた社員も、私と入れ替わるように『ここに居続けたら自分の未来はない』と言って去り、同じ時期に、やはり勤務年数の長かったエンジニアが退職していました。
 そういえば随分前に。もちろんまだそんな強欲人間だと気付く前、あのタコ社長は「日本の会社が見本」って言ってたんですよね。
(次回へ続く)
posted by ubuman at 23:05 | TrackBack(0) | フランスに来てから

2013年10月23日

ブラック企業だった(その1)

2010年の11月9日に、就労VISAが貼り付けられたパスポートと共にフランスにおよそ4ヶ月ぶりの再入国を果たすのですが、到着後ちょっと面倒なことが発生。
会社が契約してくれたアパートがあるのだけれど、未だ鍵を受け取っていなかったので、このままグルノーブルに行ってもアパートには入れません。鍵は会社にありますが、到着が夜遅かったのでその日のうちの受取は不可能。
仲の良い同僚に泊めてくれるよう電話をしたいのだけれど、前回こちらで購入した携帯電話がバッテリー切れ。間抜けなことに充電器は置いていった荷物の中。USBの充電用ケーブルがあったので、これをMacBook proに繋いで充電していたつもりだったのだけれど、何故か断線していたらしく充電出来ていません。
バッテリー残量のない携帯手にして困った顔をしている私を見て、荷物受取場所の隣にいた日本人女性が親切にも電話を貸してくれました。発信ができるほどの残量はなかったけど、かろうじて電話帳は読みだすことが出来たので同僚に電話。泊めてもらえることを確認して、グルノーブル行きのTGVに乗りました。
一夜明けて会社へ行き、挨拶だけして鍵を受け取りアパートへ。
ここは、研究者の日本人家庭が3代ほどに渡って住んでいたアパートで、家具その他そっくり引き継いだので、生活必需品はひと通り揃っています。日本からの荷物は船便なので到着は先の先。
取り敢えず何があるかを確認し、後は買い物に出て食材と酒を買い、なにか作って食べて飲んで初日が終わります。折りたたみベッドの下の物入れから大量の処方薬が出てきたのですが、導眠剤と精神安定剤が沢山あって苦笑。海外生活がストレスだった人がいたのでしょうね。
翌日から出社するのですが、最初の仕事は会社との契約書へのサインです。これを無事に終えた直後、私は数々の驚愕に見舞われることになります。
まずは就労時間が変わっていました。前回来たときは大体9時頃から17時頃までだったのが、18時に延長されています。後で判ったのですが、当時のサルコジ政権が週最長40時間までの労働(週35時間プラス後時間の残業)を認めたために、社長はこれをデフォルトとして組み込んでしまったのです。拘束は9時間ですが、昼休みを就労時間から外して実労8時間。その他コーヒーブレイクも実労から除外すると、勝手にルールを決めてしまったのです。厳密には労働法に違反しているらしいのですが、何故こんなことが出来たのか、そのからくりは未だよく解りません。
まあでもフランス人は平気で2時間近い昼休憩とるし、それぞれが専用オフィスを持つので、リラックスして仕事できることには変わらないので、これは然程苦痛ではありませんでした。時期が晩秋だったので、起きる時間には空が未だ薄暗く、帰る頃にはもう真っ暗と言う状態には、なかなか慣れることが出来ませんでしたが。3年たった今でも慣れませんね、これは。
しかしこんなのはほんの序の口、契約前には予想もしなかった状況が私を襲います。
まずはアパート。契約は11月1日からですが居住開始は11月10日、そして就労開始は11月11日なので、この10日分を最初の給料から差し引くと社長が言い出します。(タコを連想させる風貌なので以降タコ社長。怒ると真っ赤になって余計にタコ感が増す)
以前から様々な局面でケチな奴だとは感じてていたのですが、まさかここまでとは(後に、もっと凄いと判明します)。
まあ、会社の社長というのは基本、ケチでないと務まらない場合が多いようですね。有能な右腕がいる場合は、太っ腹の方が良いみたいですが。このタコ社長、子供で小心者でケチ。社長としての資質は、充分です(笑)
まあこれについては、私に好意的な経理担当者がうやむやにしてくれたのですが、今度は引越し費用。契約前の話では、引越し費用の半分くらいは会社が持ってくれる筈だったのが、最大で1割くらいしか出せないと言い出します。話が違うと文句を言っても「普通のフランス人と同じ条件だ。遠くから来た場合でも基本引越し費用は自己負担。外国人だからといって特別扱いは出来ない」と言います。
腹が立ちましたが、合意が文書で残っているわけでもないので、ここは引き下がりましたが、話が違うのはこれだけではありませんでした。渡仏前には、家族が一日でも早く合流できるよう最大限の努力をすると言っていたのが、契約後は、出来ることは何もない。一年半後でないと家族ヴィザは出ない。で終わり。実際は「長期訪問ヴィザ」というものがあり、それで切り抜けられたのですが、そこまで調査していなかったのですね。
更に、家賃は会社の経費として支払われるので、合計金額は変わらないのだけれど、実質私の手取り分は当初の予定より減ります。これが何を意味するかというと、会社は私の家賃を経費に参入できる上、雇用税や社会保障費を節約できます。
つまり、まんまと節税に利用されたわけです。私に特にデメリットはありませんが。
この時から家族が渡仏するまで、可愛い盛りの二歳の娘と離れて、私は枕を濡らさぬ夜がないような生活を5ヶ月間、耐えることになります。正直、一人暮らしは気楽でしたけど、あの年齢の子供との時間って毎日が発見の連続で、宝石のように貴重だと思うのですが、これを失うのが、とにかく辛かったですね。
しばらくして同僚達に、タコ社長の契約後の手のひら返しについて話したら、彼等の口からは驚くべき事実が次から次へと明らかに。
この会社、日本で言うブラック企業だったのです。勿論過労死者が出るほどではありませんが、フランスではもう充分にブラックです。特にEU圏外からの外国人社員は、一様に節税と言うより脱税に利用されていました。

その驚くべき詳細については、次回以降。
posted by ubuman at 18:17| Comment(0) | TrackBack(0) | フランスに来てから