2013年10月23日

ブラック企業だった(その1)

2010年の11月9日に、就労VISAが貼り付けられたパスポートと共にフランスにおよそ4ヶ月ぶりの再入国を果たすのですが、到着後ちょっと面倒なことが発生。
会社が契約してくれたアパートがあるのだけれど、未だ鍵を受け取っていなかったので、このままグルノーブルに行ってもアパートには入れません。鍵は会社にありますが、到着が夜遅かったのでその日のうちの受取は不可能。
仲の良い同僚に泊めてくれるよう電話をしたいのだけれど、前回こちらで購入した携帯電話がバッテリー切れ。間抜けなことに充電器は置いていった荷物の中。USBの充電用ケーブルがあったので、これをMacBook proに繋いで充電していたつもりだったのだけれど、何故か断線していたらしく充電出来ていません。
バッテリー残量のない携帯手にして困った顔をしている私を見て、荷物受取場所の隣にいた日本人女性が親切にも電話を貸してくれました。発信ができるほどの残量はなかったけど、かろうじて電話帳は読みだすことが出来たので同僚に電話。泊めてもらえることを確認して、グルノーブル行きのTGVに乗りました。
一夜明けて会社へ行き、挨拶だけして鍵を受け取りアパートへ。
ここは、研究者の日本人家庭が3代ほどに渡って住んでいたアパートで、家具その他そっくり引き継いだので、生活必需品はひと通り揃っています。日本からの荷物は船便なので到着は先の先。
取り敢えず何があるかを確認し、後は買い物に出て食材と酒を買い、なにか作って食べて飲んで初日が終わります。折りたたみベッドの下の物入れから大量の処方薬が出てきたのですが、導眠剤と精神安定剤が沢山あって苦笑。海外生活がストレスだった人がいたのでしょうね。
翌日から出社するのですが、最初の仕事は会社との契約書へのサインです。これを無事に終えた直後、私は数々の驚愕に見舞われることになります。
まずは就労時間が変わっていました。前回来たときは大体9時頃から17時頃までだったのが、18時に延長されています。後で判ったのですが、当時のサルコジ政権が週最長40時間までの労働(週35時間プラス後時間の残業)を認めたために、社長はこれをデフォルトとして組み込んでしまったのです。拘束は9時間ですが、昼休みを就労時間から外して実労8時間。その他コーヒーブレイクも実労から除外すると、勝手にルールを決めてしまったのです。厳密には労働法に違反しているらしいのですが、何故こんなことが出来たのか、そのからくりは未だよく解りません。
まあでもフランス人は平気で2時間近い昼休憩とるし、それぞれが専用オフィスを持つので、リラックスして仕事できることには変わらないので、これは然程苦痛ではありませんでした。時期が晩秋だったので、起きる時間には空が未だ薄暗く、帰る頃にはもう真っ暗と言う状態には、なかなか慣れることが出来ませんでしたが。3年たった今でも慣れませんね、これは。
しかしこんなのはほんの序の口、契約前には予想もしなかった状況が私を襲います。
まずはアパート。契約は11月1日からですが居住開始は11月10日、そして就労開始は11月11日なので、この10日分を最初の給料から差し引くと社長が言い出します。(タコを連想させる風貌なので以降タコ社長。怒ると真っ赤になって余計にタコ感が増す)
以前から様々な局面でケチな奴だとは感じてていたのですが、まさかここまでとは(後に、もっと凄いと判明します)。
まあ、会社の社長というのは基本、ケチでないと務まらない場合が多いようですね。有能な右腕がいる場合は、太っ腹の方が良いみたいですが。このタコ社長、子供で小心者でケチ。社長としての資質は、充分です(笑)
まあこれについては、私に好意的な経理担当者がうやむやにしてくれたのですが、今度は引越し費用。契約前の話では、引越し費用の半分くらいは会社が持ってくれる筈だったのが、最大で1割くらいしか出せないと言い出します。話が違うと文句を言っても「普通のフランス人と同じ条件だ。遠くから来た場合でも基本引越し費用は自己負担。外国人だからといって特別扱いは出来ない」と言います。
腹が立ちましたが、合意が文書で残っているわけでもないので、ここは引き下がりましたが、話が違うのはこれだけではありませんでした。渡仏前には、家族が一日でも早く合流できるよう最大限の努力をすると言っていたのが、契約後は、出来ることは何もない。一年半後でないと家族ヴィザは出ない。で終わり。実際は「長期訪問ヴィザ」というものがあり、それで切り抜けられたのですが、そこまで調査していなかったのですね。
更に、家賃は会社の経費として支払われるので、合計金額は変わらないのだけれど、実質私の手取り分は当初の予定より減ります。これが何を意味するかというと、会社は私の家賃を経費に参入できる上、雇用税や社会保障費を節約できます。
つまり、まんまと節税に利用されたわけです。私に特にデメリットはありませんが。
この時から家族が渡仏するまで、可愛い盛りの二歳の娘と離れて、私は枕を濡らさぬ夜がないような生活を5ヶ月間、耐えることになります。正直、一人暮らしは気楽でしたけど、あの年齢の子供との時間って毎日が発見の連続で、宝石のように貴重だと思うのですが、これを失うのが、とにかく辛かったですね。
しばらくして同僚達に、タコ社長の契約後の手のひら返しについて話したら、彼等の口からは驚くべき事実が次から次へと明らかに。
この会社、日本で言うブラック企業だったのです。勿論過労死者が出るほどではありませんが、フランスではもう充分にブラックです。特にEU圏外からの外国人社員は、一様に節税と言うより脱税に利用されていました。

その驚くべき詳細については、次回以降。
posted by ubuman at 18:17| Comment(0) | TrackBack(0) | フランスに来てから
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