2013年10月17日

日本からフランスへ(その4)

2009年の秋、試験的にフランスのシンセメーカーでひと月ちょっと仕事をして帰国し、しばらくすると、その会社の社長から「来年の4月から3ヶ月間、家族と一緒に招待します。その際、正式にフランスで就業するための手続きなどやりましょう」と言う連絡が来た。
とうとうヨーロッパでの就職、移住が現実のものになったのですが、渡航直前に娘が入院で延期(変更利かない格安チケットだったため買い直すハメに…)退院して出発のため空港に行ったら、アイスランドの火山の影響で飛行機が飛ばない。いつ飛ぶかわからない状態…もう、呪われていると思いました。私を日本から脱出させないために、見えない手が私を後ろから羽交い絞めにしている、と。
でも、ここで一計を案じ、出発が大幅に遅れたため現地での仕事の期間も不明になった。いつ帰国できるか読めないので帰りの便をキャンセルして払い戻してくれ、と航空会社に掛けあってみました。すると答えはOK。
最初のキャンセルで家族三人一往復分無駄にしてしまいましたが、この払い戻しが出来たため、次回フランスに渡るとき、向こうで買った往復の帰りのチケットが使えるのです。そうでない場合、日本からフランスへ高額な片道チケットを買うか、一年オープンの往復チケットを買わねばなりませんが、そうなると毎年日本とフランスを往復し続けるか、片道分をキャンセルするか捨てるかしないとならないのですね。いずれにせよ、飛行機のチケット、殆どの場合日本で買うより海外で買ったほうが安いのでこれは幸いでした。
どうにかこうにか5月上旬にフランスに辿り着き、会社が用意してくれた前回と同じ、グルノーブルに隣接するメイラン市にある滞在型ホテルでの生活が始まります。部屋はちょっと狭いけど、ひと通りなんでも揃っていて、まずまずの快適さ。
娘はまだ2歳と小さいので異なる環境でも直ぐに慣れましたが、海外で暮らした経験のない妻にとっては、最初はかなり大変だったようですが、美しい自然や安くて美味しい食材にワイン、散歩に出る公園で顔見知りが出来たことなどもあり、徐々に馴染んでくれたようです。妻がフランス移住に不同意だと、これはもう後で大変なことになるので、ちょっと安心(実は一旦日本に戻ってからちょっと大変なことになるのですけど)。
会社は去年居たメンバーが2名ほどいなくなっていましたが、インターンも数名いて、昨年よりは賑やかでした。仕事も去年と変わらずやりやすく、ゆる〜っと出社して5時過ぎには帰り、ゆっくり夕食を作って、ワインを楽しみ、週末は周辺へ観光に出かけるという日本に比べると遥かに優雅な生活。
グルノーブルの日仏交流協会にも紹介してもらい、未だ正式な住所がないのに特別な計らいで会員になり、娘は日本語補習校に併設されていた、幼児クラスに毎週通います。幸い、ホテルから歩いていける距離。
この期間中に、現在世界で大人気の、小型アナログシンセの企画が始まり、私はもう、自分が欲しいと思うシンセを作りたかったので、規模と価格帯的には考えられないような仕様を提案しましたが、そのほとんどは幸いなことに実装されています。
また、このメーカーのメインプロダクトであるヴァーチャル・ヴィンテージ・シンセの為に、日本の知り合いから、ある大型のシンセサイザーを借り受ける算段もするのですが、これが後に大変ややこしい事態を生むことになるとは、当事は夢にも思いませんでした。
滞在中は大きなトラブルもなく、必要な書類を揃えて、就労ヴィザ申請のため、7月中旬に家族ともども一旦帰国します。それまで住んでいた沖縄はもう、家賃払うのももったいないし、全員で沖縄に戻って再渡仏するのも億劫なので、妻は実家に、私は原則流浪という生活が始まります。予定では3ヶ月後にはフランスに戻って正式に就業する事になっていたので、まあ、なんとかなるかと。
しかし実際にはフランスは8月中、役所の業務が完全にストップしてしまうので私の就労ヴィザは4ヶ月後の11月になってようやく下りたのです。あとで判ったことですが、4ヶ月で降りたのはむしろ奇跡的に早かったそうです。今となっては頷けますけどね。うひゃー。
私の就労ヴィザは出ましたが、なんと家族の分が出ません。労働局はOKだったそうなのですが、移民局がダメだと。家族のヴィザを取るには私がまず単身で1年半以上働くか、毎月手取りで4500ユーロ以上の報酬を受け取るか、どちらかの条件をクリアしないといけないんだそうです。外国人雇うなら前もって調べておけよそのくらい、と言いたいところですが、時すでに遅し。4500ユーロと言うのは、普通ちょっと有り得ない報酬です。その会社の社長でもそんなに取っているかどうかって言う金額です。通常手取り額1000ユーロ台で2000に届く人少ないって言う状況です。
家族の分は来てから相談しよう、とにかくまずは一人でも来てくれ、と言うので家族を妻の実家に残し、単身渡仏したのが2010年の11月9日でした。
それから家族と再合流するまで、実に5ヶ月待たねばなりませんでした。長い長い5ヶ月間。

To be continued......
posted by ubuman at 00:10| Comment(0) | TrackBack(0) | フランスに来るまで
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