2013年07月23日

日本からフランスへ(その3)

私はこれまで、会社勤め、というものをしたことがありません。かつて会社を経営したことはありますが、それは音楽プロダクションであり、毎日定時に出社するわけではないし、土日祝祭日に休むわけでもないので、一般的な企業人とは全く事情が違います。日本の勤め人生活がどんなものかは、想像する以外にありません。
勿論、浜松の世界最大手楽器メーカーに出向いて、近くのホテルに滞在し、場合によっては一ヶ月近くそこで仕事をしたこともあったので、会社の雰囲気、というものはなんとなく解ります。そして、自分にはこれはとても勤まらないなあ、とずっと思っていました。
この大手楽器メーカーとはそれはそれは長い付き合いだったのですが、はじめの頃、もう30年以上前なんですが、その頃は非常にくだけた感じで、さすがは楽器メーカーっていう感じのアバウトさがあったんですが、年を追う毎にどんどんカッチリキッチリしてきて、それと共に「ミュージシャンから見ると無駄な手間」と言うのが多くなってきたように感じました。報酬の支払も、はじめの頃は現金だったんですよね。今じゃ考えられないあの時代の風習。

さて、フランスです。
時期は2009年の9月28日から10月末までの一ヶ月ちょっと。
フランスには、まず、出退社時間を刻印するタイムカード、と言うものがありません。9時出社と言うのは9時「頃」出社です。プラスマイナス15分くらいは、オンタイムとされます。
そして会社に来てしばらくは全員のオフィスに顔だして朝の挨拶、それからコーヒー淹れて、仕事開始まで30分くらいのタイムラグがあります。まあ大体仕事が本格的に始まるのが午前10時頃。
私の仕事は、そのメーカーの製品で音色を作ったり、製品改良のアドバイスをしたり、デモ曲を作ったり、など、今まで複数のメーカー相手にやっていた仕事が、そのままその一社オンリーになったというだけで、内容は殆ど変わりません。違うのは言語くらい。
フランスというと英語が通じない国というイメージがありますが、さすがに音楽産業は英語が国際的標準言語なので、英語でOKです。最初のミーティングで、私一人のために全員が英語でミーティングするのに、ちょっと感激したりしました。
そして昼休みも、12:30頃から皆適当に外食したり、弁当を広げたり、サンドイッチを買いに行ったり。私は最初の頃外食やサンドイッチでしたが、すぐ弁当になりました。食材が美味しいので、料理がそれはそれは楽しくて。外食の場合、ついついビールやワイン飲んでしまい、高くつくし。フランスでは昼休みにビールやワイン、普通です。オーストラリアもそうだったし、イギリスも。
あと弁当だと、社内のサロンで他の同僚たちと、いろいろな話ができて楽しかったというのもあります。この会社、同僚たちはホントにいい奴ばかりで、ある古参の社員は、フランスでもこれだけいい人間ばかり集まってくる会社は珍しいと思うよ、と言ってました。
更に金曜になると、午後五時から社内でビアタイムが始まるのです。なんて楽しい。
でも気になったことがあって、前回2007年に表敬訪問してくれた時に会った社員がだいぶ入れ替わっていた事、創業当初からいるのが、社長ともう一人だけということ(前のかいで、これ伏線、と書いた部分)。
もうかなり前に、このメーカーを知って関わるようになり、音色を提供したりベータテストをやっていた頃にやり取りしていたエンジニア、もう一人しかいないんです。この事の真相はだいぶ後になって判りますが、それは今置いといて。
なんだかんだで1時間半から2時間近くが昼休みですね。一応規則では1時間なんだけど、まず誰も気にしないんです。
そして2時頃から5時過ぎまで仕事して、もう帰宅。
きちんと仕事している時間、一日わずか5時間ですが、人間が仕事にきちんと集中できるのって、一日3〜4時間が限度と言いますから、実はダラダラ長時間仕事するより、能率はいいと思います。日本の某大手楽器メーカーで仕事した時は、もっと長い時間、物凄い集中度で仕事したこともありますが、あれは期間限定だから出来ることで、しかもホテル住まいで身の回りの事をする心配がなかったからで、普通に暮らして、あれをやったら恐らく病気になります。

何日かして、社長が私のオフィスに来て、君は素晴らしい、是非正式に契約して欲しい、と言われた時私も、この国だったらサラリーマンになることも出来るだろう、と思いました。
さて、この時期ちょうど、このメーカーは創業10周年記念イベントを開こうとしていて、私も当然これに巻き込まれるというか、音響の責任者として関わるのですが、これがちょっと大変でした。まず、これに関する連絡社内メールに限ってフランス語のみで回ってくるので、私は最初、こんなイベントがあって、そこで自分がどう言う役割を求められているかも、だいぶ後になってから気づいたのです。
イベントは2日間で、初日がカンファレンスとライブ、そして会場を変えてディナーパーティ。翌日は社屋で懇親会と新製品デモなど。
カンファレンスの会場には、グルノーブル美術館のホールを借りたのですが、ここの担当者の女性があまり協力的でない。しかも音響担当者が不在で、会場備え付けの音響設備、電源入れて接続するのはいいが、ツマミを動かすことまかりならん、と言うのです。
おまけに彼女、私が英語で何か質問しようとすると綺麗な発音で「I don't speak English!」と叫んでコミュニケーション拒否。同僚が通訳してくれるのですが、基本的に音響機材の知識がないのでほとんど役立たず。
同僚からは、プライド高いだけのバカ女、と陰口叩かれてました。そう、フランス人って、陰口好きなんですよね。
まあとにかく、こちらのミキサー出力を会場PAに通すと、イベント進行に支障をきたすほどのホワイトノイズが乗ってしまうのだけれど、これを除去するには技術的な調整をしないといけないのに、それはさせて貰えない。仕方ないので、ホールの音響機器を諦め、夜のパーティ用にレンタルしたPAを持ち込んでどうにか凌いだのだけれど、今度はスピーチの同時通訳に音量バランス上の問題が発生、仕方なくこっそりホールのPAを勝手にいじって解決。
でも、全ての接続をこちらに持ってくるには時間的にアウト。マイクを通したスピーチだけが会場のスピーカー、演奏やBGMは持ち込みPAから再生という、奇妙な音響空間が出来上がってしまいました。
どうにかこうにか昼のイベントを乗り切り、PAをすぐ撤収して夜のイベント会場へ。これはグルノーブルの象徴的歴史遺跡で観光施設でもある、ラ・バスティーユで行われました。
何だかんだで、結局ホテルに戻ったのは真夜中過ぎ。その時私を送ってくれた同僚が車中、この会社の社長が如何に最低な人間であるかを突然語り出し、ちょっと驚きました。たしかにここの社長、非常に子供っぽくて、おまけにケチ。でも私、それは会社の経営者にとって必要な資質だと思っていたし、日本での初対面以来、悪い印象は全くなかったのです。
この時の彼の言葉をちゃんと理解するまでに、それから更に一年を待たなければなりませんでした。

10周年記念イベントは、フランスに来てから数週間後のことでしたが、この頃は同僚の協力もあって通勤用の自転車も手に入れ、ホテルから森の小道を通って美しいアルプスの景色を眺めながらの行ったり来たり。日本とは比べようもないくらい濃厚な味の野菜に果物、イタリアで食べて大好物となったアーティチョーク、安くて美味しいワイン、上質な肉類などに囲まれての、あっという間の一ヶ月間、でありました。仕事は忙しかったです。様々なシンセサイザーについての詳しい知識を持っていて、それらを自由に使いこなせるのが社内で私だけでしたから、それは当然といえば当然なのです。
帰国直前に、社長から再び、正式に来てくれるかを問われ「家族が一緒に来られるならば、私はOK」と答えました。帰国後も日本でここの仕事を継続することを約束して、好印象抱いたまま日本に戻ります。(続く)
posted by ubuman at 23:33| Comment(0) | TrackBack(0) | フランスに来るまで
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