フランスに来るまで、の続きを書く前に、前日譚としてそれまで住んでいた京都から何故沖縄へ移ったか、について書きます。結果論なのですが沖縄で数年暮らしたことが、フランスに来てから、こちらに適応するために非常に役に立ったような気がします。その理由は別の機会に。
沖縄への引越しを決意した理由ですが、仕事のクライアント企業相手に訴訟を起こしたので、仕事を干されることがわかりきっており、それならばしがらみの少ない土地で仕切り直した方がいいのでは、という思惑もありましたが、なにより温かい土地で暮らしたいという願望が大きかったのです。
その願望を抱くに至った最原因は、二年連続で病を患った事。
最初は喉頭蓋炎。人間は食べ物を嚥下する時、それが気管に入らないよう自動的に蓋が閉じるようになっているんだそうで、この蓋を喉頭蓋、と呼びます。喉頭蓋炎は文字通りこの蓋が炎症を起こして気管を塞いでしまう病気です。
最初は風邪でしたが扁桃腺炎を併発。そこからさらに咽頭炎へと拡大しました。その後発熱などの症状は治まったのですが、喉の奥に非常に強い痛みが残り、水を飲むのも痛くて辛いという日々が続きました。食事はさらなる苦痛。
そんなある日、いきなり呼吸ができなくなりました。喉が完全にふさがり、息を吸うも吐くもかなわず、まるで見えない手に首を絞められたかのよう。幸い、恐らく十数秒後に気道が開き、呼吸が出来るようになりましたが、永遠に感じる十数秒でした。そのまま呼吸できなければ、あの世行きでしたから。
呼吸回復後、慌てて最寄りの耳鼻科を受信したら「喉頭蓋炎です。発作が長引ければ窒息死します。紹介状書くので病院へ行って直ぐ入院して下さい」と言われました。初めて聞く病名と、命に関わる病気だということに、それはもうおののきましたよ。
紹介状を持って京都市内のある病院へ自転車で(これ、伏線)。しかし診察した医者は「入院は必要ないでしょう。直ぐにステロイド剤の点滴しますから、今日を含めて五日間、通って下さい」と言います。
普通ステロイド剤の点滴を5日も続けると、所謂ムーンフェイスと呼ばれる、顔が丸く膨らんだような状態になるらしいのですが、私、特異体質なのか何の変化もありませんでした。もっともこの頃は今と比べると体重もずいぶん重くて、デフォルトで顔が丸く膨らんでいたのですが。
私の特異体質を上げると切りがありません。麻酔もあまり効かないし、傷の治りが異常に早く、いつも医者を気味悪がらせてます。切り落とした指先が綺麗に再生したこともありました。もしかして爬虫類のDNAが混ざっているのかも(笑)。
通いの点滴治療を五日間務め上げ、はいもう大丈夫、と言われた二日後、以前より軽微だったけれど、再び発作。更に二日間追加で点滴。
これでようやく収まりましたが、頭の中が多くの疑問符で充満しました。
紹介状に入院が必要って書いてあるのに、症状を過小評価して通院で充分と判断した根拠はなに?
自転車で通院中にもし発作が出ていたら、交通事故起こしていたかも知れなくない(先の伏線)?
そもそも検査の結果について、説明なかったけど?
説明受けて合意してっていう余裕ないほど緊急性高かったんだろうから、検査結果の説明なしにいきなり点滴解るけど、その後も治療方針や方法、ステロイドの副作用などについて何も説明なかったけど、いいのか?
体質のおかげで、ムーンフェイスにならなかったから良かったけど、予備知識無しにいきなり顔膨らんだら、驚きますけど、普通。
要するに藪医者だったのですね。ちょっと美人の女医さんでしたが。
次なる病は喉頭蓋炎の翌年のことです。上顎の左の奥歯が浮いてきて物を噛む度に痛いので、最寄りの歯科医に行きました。ここ、あまり腕が良くないのか、いつも空いていて予約なしで診てくれるのです(笑)。
治療は奥歯を削って噛み合わせを調整するだけだったのですが、今思えばこれが副鼻腔炎の始まりだったのかもしれません。この時X線写真を撮ったかどうか記憶がありませんが。もし撮っていれば、或いは炎症に気づいたかも。
痛みは去ったのですが、その後しばらくして、顔の左半分が俯いた瞬間に強く痛む、と言う症状に見舞われました。同時に左の鼻からは大量の膿が。
蓄膿症になった?と思い、昨年の例があるので、最寄りの耳鼻科ではなく、少し離れているけど名医と評判の高い大島耳鼻科を予約し、そこへ。まあ京都市内は東西北の大路内であれば、多少遠くとも自転車移動圏内なので、行くのはそれほど苦にはなりません。
そこでの診断は急性副鼻腔炎。しかも、医師の言葉を借りれば「猛烈」な炎症だそうです。まずは抗生剤治療。これで収まらなければ外科手術。炎症は視神経に達する勢いで、そうなれば左目の視力を失う怖れがあるから、そうなる前に
外科手術が必要、とのこと。私、生まれつき右目が殆ど見えないので、これは一大事です。
ここで気づいたのですが、上顎の奥歯が浮いたのが、炎症の始まりだったのかも知れません。原因もなく勝手に歯が浮いてくる訳ありませんからね。しかも痛いのは物を噛んだ時だけで、歯肉炎など歯周病なら常時痛いし、見ただけで直ぐに解るはずですから。だから歯の治療の時、副鼻腔の炎症に気づいていれば、ここまで悪化させずに済んだのでは、と思うのです。
それはともかく、投薬の効果もなく、炎症はどんどん拡大し、常に鼻を押さえていないと膿がダラダラ流れ続け、もうこれは手術が必要、となりました。
そこの医師一押しの、副鼻腔炎の手術では全国一と誉高い京都第二赤十字病院は満床だったので、では次はここと紹介されたのは、去年と同じあの病院。診察室で私を待っていたのは、去年と同じちょっぴり美人の、あの。因果はめぐる糸車。
彼女の口から出た言葉は「入院も手術も必要ないでしょう」
元の医院へ取って返し「先生、別の病院を紹介して下さい、実は斯斯然然」と去年のエピソードを紹介。
それならばと、満床だった第一候補へ電話をかけ直し、半ば無理やりねじ込んでくれました。その先生そこの病院出身で、融通効かせてくれる後輩がいたのですね。
副鼻腔炎の手術、いつもの様に麻酔薬追加で無事終了し、ついでに鼻中隔の湾曲も直してもらって(ノミとハンマーで削る荒療治)、さすが全国一なだけあって、最も痛いといわれるガーゼの取り出しも無痛でした。私をここにねじ込んでくれた大島先生、術後に電話で容態を訊いてくれただけでなく、直接見舞いにも来てくれました。なんて良い医者でしょう。
しかしなんでこんな事になったのか。ある人はこう言います。京都は山に囲まれた盆地であるがゆえ、独自の常在菌が沢山いる。地元民は免疫があるが、外来者はこれにやられる。またある人はこう言います。京都は怨念がこもっている土地で魑魅魍魎が多い、故に外来者で敏感な人は攻撃を受ける。
喉頭蓋炎で息が止まった時は、悪霊に首でも締められたかと思いました。今でも風邪で喉が痛む度に、あの時の恐怖が蘇ります。もしかするとこの時の細菌やウイルスがまだ残っていて、何かのきっかけで活動再開したのかもしれませんね。
それはともかく、夏冬のあの極端な気候の変化に体が馴染むのは大変だと思います。冬は北国の人が寒がり、夏は南国の人が暑がる京都。私、その暑い夏はどうということなかったのですが、冬はこたえました。血行が悪くなって目眩がするほどでしたから。もしかするとこれも、免疫力を下げる遠因だったかも。
そんなこんなも絡み、二年に渡る羅病の後、温かい南国へ引っ越そうと決意するに至ったのです。でも、いよいよ京都を離れることになって空港へ向かうバスの中で、ものすごく後ろ髪ひかれ、涙が出そうになりました。それほど魅力的な街でもあります。京都に住む、ある友達(女性)は「頭が良くてスタイルもいい絶世の美女、だけど性格が極端に悪い、こういう女に引っかかると男は中々離れられないでしょ? 京都ってそんな街」
言い得て妙。