2014年07月22日

ブラック企業だった(その2)

 前回の記事から大幅に時間が空いてしまいました。嫌な過去って振り返りたくないので、ついつい先延ばしにしてしまったのですね。

 さて、10月末のギリギリまで、アパートの契約が終了せず、フランスに来て寝泊まりの場所はあるのかと、ヤキモキさせられましたが、ようやくそれも終了し、渡仏して人生初の会社員生活が始まります。
 前回は契約書にサインするまでは、至れり尽くせりな事を言っていたタコ社長が、契約完了と同時に手のひら返した所までを書きました。その続きです。

 例えばフランスで働き始めた外国人は、まず移民局で手続きをした後、健康診断を受け、その後フランス市民としての講習を受けたり、フランス語学校に通わねばならないなど、様々な義務を課せられます。これをスキップすると滞在資格失います。フランス語の試験も、落ちても追試は受けられるものの、その後のレッスンと受験は有料になります。
 フランス語のレッスンは、移民局への登録手続きと健康診断の後、二度の市民講習を受け、翌2011年の4月か5月から始まりました。家族は4月7日に合流したので、その後のことです。

 初めは、昼間の週四日間一日4時間レッスンで二ヶ月のコースに振られたのですが、これは勤務時間の半分が取られてしまうため、週二日、一日2時間レッスンで4ヶ月の夜間コースに変更せねばなりませんでした。不思議なことに、雇用された外国人は、このレッスンに通う義務があるのだけれど、雇用側には、通わせる義務はないのです。ここがフランスの制度の不思議。どう考えても片手落ち。
 しかし、夜間のコースも夕方5時に仕事が終わる前提で、5時半開始。
 しかししかし、私が契約した会社、終業が午後6時。つまり一時間の強制残業(厳密には違法です。勿論)。後でわかったのだけれど、昼食休憩の1時間を拘束時間と見なしたくないが為、強欲タコが労働法のグレーゾーンを利用して定めた就労時間なのです。前年に試験的に来た時は5時終業でしたからね。
 社員達はだから当然、タコ社長が不在な日はさっさと5時に帰宅します。昼休憩だって、1時間で帰ってくる人間などいません。タイムカードのない世界では、まあ、この様な決まりなどどうにでもなります。
 元に戻して、私が午後5時30分からレッスンを受けるためには、4時45分には会社を出ないと、間に合わない。するとタコ社長、その分早出するか、レッスンのない日に残業して調整しろと言いだす。
 実際、レッスンが始まってからこの件をクラスメート達に訊いたら、流石にそんな事言う会社は一社もありませんでしたよ。外国人雇っておきながら、フランス社会が外国人に与える義務を果たすことに対し、会社は一切協力しないって、ちょっと凄いです。日本では凄くないかもしれないけど、どうなんだろう。

 他にも、会社が勤務時間中に行く事を認めたのは、最初の移民局だけ。これは同僚の会計総務担当者に付き添って貰う必要があったから、他の社員たちの手前もあり、仕方がなかったのですね。その後の役所手続きなどは、全て有給をとって行かねばならなかったのです。
 この会社には、かつても外国籍社員はいたし、私の同僚にもいました。フランスでは外国人を雇用する時に、何千ユーロか政府に収めねばならないのですが、この強欲社長、なんとこれを外国人社員の給料から差し引いて返納させていたというのです。これ、完全に違法。この場合の外国人というのはEU圏外の国籍を持つものです。フランスに居続けたいという彼らの気持ちを利用して、このように阿漕なことをしていたのです。私はこれを要求されることはなかったのですが、それは、この額を差し引けば、多分最初に約束した報酬条件を下回ることになるからで、その時合意した報酬額のプリントをお互い一枚ずつ持っていたからだと思います。

 また別の外国人社員(エンジニア)はもっと酷い扱いを受けています。彼はここグルノーブルではなく、パリで仕事をしていたのですが、社員でいるあいだじゅう、インターン(研修社員)扱いで給料は月々僅か数百ユーロ。他の報酬は楽器や機材購入費、パリ出張所維持費と言う形で支払われていたのです。目的は税金逃れ。勿論、例の外国人登録費用もきっちり引かれたそうです。ほとんど山椒大夫企業。これも完全違法どころか、詐欺なんですよね。その彼も、私と契約する少し前に、退職しました。フランスに来る前に顔合わせて、来た時には辞めていた、あるいは来た後すぐに辞めて行った同僚の数はこの時点で6人。社員総数20人に満たない会社で。

 しかし、この強欲社長の振る舞いによって、私もその後、相当悩まされることになります。
 あ、そうそう、2011年の3月には勤務年数の長い、渉外担当(アメリカでトヨタの重役秘書経験があり、英語も堪能で日本語も話せる)の女性が、3月のある日突然会社に来なくなりました。彼女を激怒させた発言がタコの口から出たせいだと聞きましたが、それだけではなく、積もりに積もった怒りが爆発したようです。その一例が、アメリカの楽器見本市NAMMショーで、親しくなった隣のブースの人が、撤収を手伝ってくれたので、その御礼にと、夜食のハンバーガーをその人の分も買って渡した。するとタコは、その代金を回収するよう彼女に命じたというのです。そんなことは恥ずかしくて出来ないと、彼女気の毒に自腹を切ったそうです。

 月末には、経理総務担当が辞めました。彼女は今、私の会計士をやってくれています。
 2009年の秋に入社したCTOを務めた社員も、私と入れ替わるように『ここに居続けたら自分の未来はない』と言って去り、同じ時期に、やはり勤務年数の長かったエンジニアが退職していました。
 そういえば随分前に。もちろんまだそんな強欲人間だと気付く前、あのタコ社長は「日本の会社が見本」って言ってたんですよね。
(次回へ続く)
posted by ubuman at 23:05 | TrackBack(0) | フランスに来てから