2013年06月30日

プロとして最初のレコーディング

 さっき、ある先輩ミュージシャンとのチャットでのやりとりがきっかけで、長いこと忘却の彼方にあった、プロ・デビューして最初のレコーディングのことを思い出したので書く。これは今まで、多分誰にも話していない。完全に忘れていた記憶だったので。 セミ・プロ時代もレコーディングスタジオを使った経験はあるけれど、その時スタジオ内には自分たち以外は、スタジオ付きのエンジニアしかおらず、実に気楽なもの。しかし、メジャーレーベルのレコーディングだと、プロデューサーやディレクターなど様々なヒエラルキー上の「上位者」が大勢いた。まずこれがプレッシャー。
 私の場合は、契約したプロダクションの社長が当事ヒットメーカーとして名を馳せた作曲家で、プロデューサーでもあり、アレンジャーでもあるという、当事の私から見れば雲上人に近い存在。他のメンバーがブースで一緒に演奏するのに対し、シンセ担当の私は、一人この大御所が鎮座する席の真ん前で、後から弾かねばならなかった。これは当事まだ21歳だった私はには、プレッシャーは相当なもの。生意気盛りとはいえ。正直ブースで演奏できる立場でいたかった。
 しかも。シンセのオペレーターとしてやってきたのが、松武秀樹さん。YMOで巨大なモジュラーシンセを操っていた、あの方。で、スタジオに持ち込まれたのは大量の巨大フライトケース群。おおあのデカイのはMoog IIIcに違いない。おおこれはOberheim 8voiceだろう。ああこれはもしかしてPolymoog....しかもケースにアルファベットで、HOSONOとかSAKAMOTOと書かれている。要するにYMOの機材全てが持ち込まれたわけ。これで平静でいられる訳ないよね。それまで、YAMAHA CS-30とRoland Jupiter-4しか持ったことのないシンセ好きの若干21歳の若僧だから、もう大興奮。
 ところがどっこい、当初の予定ではシンセを重ねてオーケストラサウンドを構築する予定だったのが、生弦入れたら、もうお腹いっぱいになっちゃって、それ以上何入れる必要あるの?的な状態。
 この大御所プロデューサー、シンセに関しては現場のひらめきで即興的にアレンジするタイプだったのね。
 それに加えて、24トラックをほぼ使い切った状態で、空きトラックも少ない。
 結局、ポリシンセ1台で、弦の厚み増強にシンセを入れる、だけ、になっっちゃった。「君、ライブはこの音をシンセだけで再現しなきゃダメだぞ」というミッション・インポッシブルな注文付きで。
 で、目の前に置かれたのはSAKAMOTOと書かれたフライトケースから出てきたプロフェット5。当事の私には、逆立ちしたって買える代物じゃござんせん。しかもYMO御用機材。ケースにはSAKAMOTO。目の前には大御所、隣には松武さん。これで緊張するなてえ方がどうかしてるぜべらぼうめ。
 YMO機材をフルに使っての多重録音はフイになったけど、なんかもう心ここにあらずで、演奏中の指の震えを必死で止めようとした事しか覚えていない。あれがあったからその後図太くなっちゃったんだと思うけど。
 松武さんが2VCOのプロフェット一台でどうしてあんなに厚みのあるストリングスサウンドが作れたか理解したのも、それから数年後のこと。それからおよそ2年後には、自分の運命を左右するDX7と出会うことになるなど、まだ想像もしていないあの時。
 それ以来しばらくプロフェット5使ってたけど(事務所がレンタル)、どうも馴染めなくて、途中からJupiter-8に変えたけどこれは相性良かったよ。今でも当事のアナログ・ポリ・シンセではJupiter-8とCS80が最高峰と思う。
 余談だけど、そのちょっと前、私はCS80の家庭教師という珍しいアルバイトを放送局の報道アシスタントのバイトと並行してやってた。その時の生徒の親友が坂本龍一さんのお弟子さんという不思議な縁。
 放送局バイト時代も、ひょんなきっかけから、その局のラジオニュース番組のテーマ曲作るという巡り合わせがあった。他のバイト仲間から、同じバイトなのになんであいつだけ、とものすごく妬まれた、と言う話を後から聞いたけどまあ、放送局にバイトに来る連中は基本的に、狙ってるからね、その世界を。無理もない話し。自分が幸運だっただけ。
 なんか、ひとつ思い出すと、芋づる式にどんどん記憶が蘇るなぁ。
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2013年06月26日

キッチン小ネタ集その2

よーく考えたらまだまだあった。

  • BBQなどで生鮭を焼く時は、焼き始めるちょっと前に皮の部分に塩を振って5〜10分置き、水を出す。こうすると、パリパリに焼きあがり、生臭みも取れる。逆にやらないと、せっかく美味しい皮が生臭くなって楽しめない。
  • パスタ鍋使う時、ローリエなどハーブ類は内ザルの下に入れると麺に絡まないのでいいんだけど、これは他の煮物にも応用出来ます。スープは逆に内ザルの中に具材を入れれば取り出し簡単。
  • 味噌漉しは応用範囲広くて超便利、ふるいとしても使えるし、茹でた麺を引き上げて湯切りをしたり、野菜の湯通しなど、色々役に立つ。
  • ショウガやニンニクなど、冷蔵庫で長く保存したいものは、ラップしたあと、更に上からアルミフォイルで包んでしまおう。びっくりするほど長期間鮮度を保つよ。根菜類も萎びない。チーズもこうしておくとカビが付かない。葉菜にはまだ試していないけど、いけるかも。大きなフォイルでづとっくバッグを包んで保存バッグを作っちゃうとか。
  • スプレーボトルに酢を入れて、網焼きの時網に吹き付けると、焦げ付きにくくなる。
  • 炒めものや煮物に日本の豆腐使う時は、事前に重石をして水抜きした方がいい。量は半分くらいになるけど。麻婆豆腐もこれで作ったほうが美味しいよ。水抜けた分、味が入りやすくなるから。あと崩れにくいし。壱岐や沖縄の豆腐、台湾や中国の豆腐はそのままでOK。
  • その固めた豆腐を使って、アーリオ・オーリオにすると美味しいよ。アーリオ・オーリオはパスタにかぎらず、蒸した野菜にも応用出来ます。蒸しブロッコリーやカリフラワー、じゃがいもなど。
  • 湯剥きしたトマトの皮は捨てずに乾燥させておくと、とてもいい味が出るので、スープの出汁に使える。乾燥させたら細かく刻んで、出汁用のパックなどにハーブと一緒に入れておくといつでも使えて便利。
  • 大根菜、蕪菜、青梗菜など、アブラナ科菜っ葉を塩漬けにする時、日本酒と黒糖をほんのちょっぴり入れて漬けると、アーラ不思議、本格的な野沢菜風味になるよ。
  • 骨付き肉を食べた時は骨を捨てずに、すすいでから冷凍保存しておこう。ある程度量が溜まったら、これでスープが取れます。
  • 鰯や鯵などの魚から外した内臓、特に心臓や胃袋などは、酒と塩に一晩漬けてからさっと茹でたりニンニクと炒めたりすると、いい酒のツマミになる。肝臓は溶けちゃうけど、滋養があるので、いいよ。赤ワインには向かないけどねw
  • レバーなどの臭み抜きは、牛乳よりお茶。匂いのキツイ豚モツも、これで綺麗サッパリ。
  • 知ってる人多いと思うけど、ニンニクの皮は先に根付きの部分を切り落とすと、ツルッと剥ける。他にも色々な方法が知られているけど、今のところこれが一番手軽かな。
  • 逆に玉ねぎをスライスしたり、微塵切りのために切れ目を入れる時は、根元を残したままやると、皮がずれないのでやりやすい。
  • 大根や人参、キュウリを輪切りにしたり小口切りにする時、転がって切りにくいという人は、ピーラーなどで一部を平にしてからまな板に載せると転がらず切りやすくなります。一部平になっちゃうから、後の見た目がアレだけどw
    ホントは包丁を研いで切れ味良くするのが一番なんだけど。切れすぎる包丁は怖いという人多いし。転がる根菜を切れない包丁で無理に切ろうとすると、怪我する確率高いのです。

 以下はフランス在住者向け情報。
  • Casinoブランドの食品、大手スーパーのオリジナルブランドの中でも、安くていいものが多い。特にオーリヴ・オイルは低温絞りで、香りもいい。しかも安い! オリーヴオイルにはうるさいイタリア人も太鼓判。
    あと、冷凍エスカルゴ。色々食べ比べたけど、Casinoのが一番美味しかった。コスパもいい。
  • イタリア産の日本種米、乾燥しすぎて時々芯が残ることあるけど、諦めずに蒸し器で蒸すとリカバーできます。勿論ちゃんと炊けた時には及ばないけど。
  • クルミオイルとタコって、味の相性抜群にいいよ。
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2013年06月25日

レシピではないんだけど(キッチン小ネタ集その1)

ちょっとした知恵。
主婦の味方になるかも。

  • ジャム、ビスケット、ケーキなど甘いモノを自宅で作る時、砂糖を控えるには塩を少し入れるといい。味が濃厚になるから、砂糖減らしても物足りなさを感じない。菓子類には有塩バターを使うのも手。
  • パスタ茹でる時、紅茶や焙じ茶の茶葉をちょっと入れて茹でると美味しい。野菜の茹で汁を混ぜるのもいい。
  • 米のとぎ汁、生麺やパスタの茹で汁アクの強い野菜の煮汁は食器の油汚れを落とすのに使える。茶の出がらし、柑橘類の皮も洗い物に使える。柑橘類の皮は魚臭さを取る効果もある。
  • 瓶詰め食品が黴びないようにするには、ラップを中身の表面に密着させるといい。空気に触れる面積が減るので。
  • 炒めて食べると解って米を炊く場合、炊く時に油を入れて炊くと後で炒めた時確実にパラパラになる。ついでに塩や醤油入れて炊いてしまえば、後の味付けも楽。でも水はやや少なめにね。
  • 八丁味噌と麦味噌をブレンドすると、比率次第でどんな具材にも対応して美味しい味噌汁が出来る。玉ねぎ、じゃがいも、油揚げなど甘みのある具の時は八丁味噌多め。苦味や渋味系の具には麦味噌多めに。
  • 唐揚げには小麦粉より片栗粉や米粉使った方がカラッと揚がる。きな粉混ぜると香りも味も良くなる。
  • 肉料理(ステーキ等)を固くせずに芯まで火を通したい時には、蓋をしてから火を止めて5〜10分蒸らすといい。熱熱じゃないといや、と言う人は、その後もう一度さっと焼けばいい。私は牛や馬は超レア、羊でミディアムレアくらいだけど。
  • 卵を割って、汁椀程度の深さの器に入れ、電子レンジ200W以下で1〜2分(卵の温度などで変わるので小刻みに様子を見ながら)加熱すると、温泉卵になる。低音加熱なので、爆発の心配は無い。220W位だと、ポーチドエッグが出来る。くれぐれもワット数を上げないこと。
  • 鰹節削りがないのに、塊の鰹節しかも本枯節を手に入れてしまったら、蒸してから削るといい。野菜用のスライサーでも楽勝。ただし全部削り切る事。一度蒸して再び固まったものは猛烈に硬くなる。直ぐ使わない分は密封して冷凍。
  • バスマティなど長粒米を茹でる時は、水に浸したり、水から炊くのはダメ、蓋をするのもダメ。沸騰した湯に分量の米を投入し中火で10〜12分茹でる。そして茹で上がったらザルに開けて湯を切る。その後鍋に戻して5分蒸す。

 またネタ集まったら書きます。

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2013年06月22日

(前日譚)京都から沖縄へ

 フランスに来るまで、の続きを書く前に、前日譚としてそれまで住んでいた京都から何故沖縄へ移ったか、について書きます。結果論なのですが沖縄で数年暮らしたことが、フランスに来てから、こちらに適応するために非常に役に立ったような気がします。その理由は別の機会に。
 沖縄への引越しを決意した理由ですが、仕事のクライアント企業相手に訴訟を起こしたので、仕事を干されることがわかりきっており、それならばしがらみの少ない土地で仕切り直した方がいいのでは、という思惑もありましたが、なにより温かい土地で暮らしたいという願望が大きかったのです。
 その願望を抱くに至った最原因は、二年連続で病を患った事。
 最初は喉頭蓋炎。人間は食べ物を嚥下する時、それが気管に入らないよう自動的に蓋が閉じるようになっているんだそうで、この蓋を喉頭蓋、と呼びます。喉頭蓋炎は文字通りこの蓋が炎症を起こして気管を塞いでしまう病気です。
 最初は風邪でしたが扁桃腺炎を併発。そこからさらに咽頭炎へと拡大しました。その後発熱などの症状は治まったのですが、喉の奥に非常に強い痛みが残り、水を飲むのも痛くて辛いという日々が続きました。食事はさらなる苦痛。
 そんなある日、いきなり呼吸ができなくなりました。喉が完全にふさがり、息を吸うも吐くもかなわず、まるで見えない手に首を絞められたかのよう。幸い、恐らく十数秒後に気道が開き、呼吸が出来るようになりましたが、永遠に感じる十数秒でした。そのまま呼吸できなければ、あの世行きでしたから。
 呼吸回復後、慌てて最寄りの耳鼻科を受信したら「喉頭蓋炎です。発作が長引ければ窒息死します。紹介状書くので病院へ行って直ぐ入院して下さい」と言われました。初めて聞く病名と、命に関わる病気だということに、それはもうおののきましたよ。
 紹介状を持って京都市内のある病院へ自転車で(これ、伏線)。しかし診察した医者は「入院は必要ないでしょう。直ぐにステロイド剤の点滴しますから、今日を含めて五日間、通って下さい」と言います。
 普通ステロイド剤の点滴を5日も続けると、所謂ムーンフェイスと呼ばれる、顔が丸く膨らんだような状態になるらしいのですが、私、特異体質なのか何の変化もありませんでした。もっともこの頃は今と比べると体重もずいぶん重くて、デフォルトで顔が丸く膨らんでいたのですが。
 私の特異体質を上げると切りがありません。麻酔もあまり効かないし、傷の治りが異常に早く、いつも医者を気味悪がらせてます。切り落とした指先が綺麗に再生したこともありました。もしかして爬虫類のDNAが混ざっているのかも(笑)。
 通いの点滴治療を五日間務め上げ、はいもう大丈夫、と言われた二日後、以前より軽微だったけれど、再び発作。更に二日間追加で点滴。
 これでようやく収まりましたが、頭の中が多くの疑問符で充満しました。
 紹介状に入院が必要って書いてあるのに、症状を過小評価して通院で充分と判断した根拠はなに?
 自転車で通院中にもし発作が出ていたら、交通事故起こしていたかも知れなくない(先の伏線)?
 そもそも検査の結果について、説明なかったけど?
 説明受けて合意してっていう余裕ないほど緊急性高かったんだろうから、検査結果の説明なしにいきなり点滴解るけど、その後も治療方針や方法、ステロイドの副作用などについて何も説明なかったけど、いいのか?
 体質のおかげで、ムーンフェイスにならなかったから良かったけど、予備知識無しにいきなり顔膨らんだら、驚きますけど、普通。
 要するに藪医者だったのですね。ちょっと美人の女医さんでしたが。
 次なる病は喉頭蓋炎の翌年のことです。上顎の左の奥歯が浮いてきて物を噛む度に痛いので、最寄りの歯科医に行きました。ここ、あまり腕が良くないのか、いつも空いていて予約なしで診てくれるのです(笑)。
 治療は奥歯を削って噛み合わせを調整するだけだったのですが、今思えばこれが副鼻腔炎の始まりだったのかもしれません。この時X線写真を撮ったかどうか記憶がありませんが。もし撮っていれば、或いは炎症に気づいたかも。
 痛みは去ったのですが、その後しばらくして、顔の左半分が俯いた瞬間に強く痛む、と言う症状に見舞われました。同時に左の鼻からは大量の膿が。
 蓄膿症になった?と思い、昨年の例があるので、最寄りの耳鼻科ではなく、少し離れているけど名医と評判の高い大島耳鼻科を予約し、そこへ。まあ京都市内は東西北の大路内であれば、多少遠くとも自転車移動圏内なので、行くのはそれほど苦にはなりません。
 そこでの診断は急性副鼻腔炎。しかも、医師の言葉を借りれば「猛烈」な炎症だそうです。まずは抗生剤治療。これで収まらなければ外科手術。炎症は視神経に達する勢いで、そうなれば左目の視力を失う怖れがあるから、そうなる前に
外科手術が必要、とのこと。私、生まれつき右目が殆ど見えないので、これは一大事です。
 ここで気づいたのですが、上顎の奥歯が浮いたのが、炎症の始まりだったのかも知れません。原因もなく勝手に歯が浮いてくる訳ありませんからね。しかも痛いのは物を噛んだ時だけで、歯肉炎など歯周病なら常時痛いし、見ただけで直ぐに解るはずですから。だから歯の治療の時、副鼻腔の炎症に気づいていれば、ここまで悪化させずに済んだのでは、と思うのです。
 それはともかく、投薬の効果もなく、炎症はどんどん拡大し、常に鼻を押さえていないと膿がダラダラ流れ続け、もうこれは手術が必要、となりました。
 そこの医師一押しの、副鼻腔炎の手術では全国一と誉高い京都第二赤十字病院は満床だったので、では次はここと紹介されたのは、去年と同じあの病院。診察室で私を待っていたのは、去年と同じちょっぴり美人の、あの。因果はめぐる糸車。
 彼女の口から出た言葉は「入院も手術も必要ないでしょう」
 元の医院へ取って返し「先生、別の病院を紹介して下さい、実は斯斯然然」と去年のエピソードを紹介。
 それならばと、満床だった第一候補へ電話をかけ直し、半ば無理やりねじ込んでくれました。その先生そこの病院出身で、融通効かせてくれる後輩がいたのですね。
 副鼻腔炎の手術、いつもの様に麻酔薬追加で無事終了し、ついでに鼻中隔の湾曲も直してもらって(ノミとハンマーで削る荒療治)、さすが全国一なだけあって、最も痛いといわれるガーゼの取り出しも無痛でした。私をここにねじ込んでくれた大島先生、術後に電話で容態を訊いてくれただけでなく、直接見舞いにも来てくれました。なんて良い医者でしょう。
 しかしなんでこんな事になったのか。ある人はこう言います。京都は山に囲まれた盆地であるがゆえ、独自の常在菌が沢山いる。地元民は免疫があるが、外来者はこれにやられる。またある人はこう言います。京都は怨念がこもっている土地で魑魅魍魎が多い、故に外来者で敏感な人は攻撃を受ける。
 喉頭蓋炎で息が止まった時は、悪霊に首でも締められたかと思いました。今でも風邪で喉が痛む度に、あの時の恐怖が蘇ります。もしかするとこの時の細菌やウイルスがまだ残っていて、何かのきっかけで活動再開したのかもしれませんね。
 それはともかく、夏冬のあの極端な気候の変化に体が馴染むのは大変だと思います。冬は北国の人が寒がり、夏は南国の人が暑がる京都。私、その暑い夏はどうということなかったのですが、冬はこたえました。血行が悪くなって目眩がするほどでしたから。もしかするとこれも、免疫力を下げる遠因だったかも。
 そんなこんなも絡み、二年に渡る羅病の後、温かい南国へ引っ越そうと決意するに至ったのです。でも、いよいよ京都を離れることになって空港へ向かうバスの中で、ものすごく後ろ髪ひかれ、涙が出そうになりました。それほど魅力的な街でもあります。京都に住む、ある友達(女性)は「頭が良くてスタイルもいい絶世の美女、だけど性格が極端に悪い、こういう女に引っかかると男は中々離れられないでしょ? 京都ってそんな街」
 言い得て妙。
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2013年06月19日

どこでも入手しやすい食材で作る、美味しい焼肉のタレ

フランス暮らしを初めて、時々無性に恋しくなる日本で親しんだ味の一つに、焼肉のタレ味、と言うのがある。しょっぱさ甘さ辛さ香り、あの絶妙なバランスのタレの味。韓国式なら、醤油とコチュジャン、ヤンニョンジャンとゴマ油を適当に混ぜ合わせれば、それっぽくなると思うのだけれど、韓国調味料はパリかリヨンまで行かないと手にはいらない。しかも自分が恋しいのは、日本の焼肉店のあのタレ。韓国式とは似ているけれどちょと違う。そんな訳で自作することにした。
webで素材を調べたが、材料は予想した通り。醤油酒味醂砂糖唐辛子コチュジャン玉ねぎニンニク生姜林檎白ゴマゴマ油。コチュジャンは無いので除外、こっちではポピュラーなチュニジアの唐辛子ペースト、ハリッサを使うことにする。問題はバランスだがこれはレシピによってまちまちなので、材料を加えながら自分好みに仕上げるしか無い。日本酒や味醂はなければその土地のローカルな酒で代用が効くと思う。
たまたま、グルノーブル日仏交流協会主催のBBQパーティでタレを作って欲しいと頼まれていたので、大量に作ることに。
以下、その時用意したもの。
醤油:1L
酒:250cc 白ワインでもいい。
味醂:250cc
※味醂がなければ、ワインに蜂蜜混ぜてもいいし、砂糖とかしてもいい。他の甘味系醸造酒でもリキュールでもいい。
玉ねぎ:中玉2個
ニンニク;大きめのもの4カケ、すりおろし
生姜:ニンニクと同量か少々少なめ、すりおろし
リンゴ(なるべく味の濃いもの):一個、すりおろし
粉黒糖(若しくは無漂白糖)、胡麻油、炒った胡麻のすり胡麻(白又は金胡麻)、鷹の爪1〜2本、粗挽き黒胡椒、【ハリッサ、隠し味要員(豆板醤、豆鼓、甜麺醤):コチュジャンやヤンニョンジャンが使えるなら要らないかも】

作り方。
鍋に酒と味醂を入れて火にかけアルコール分を飛ばしたら醤油、すりおろしたニンニク、生姜、鷹の爪、を入れ、再沸騰する直前で火を止める。冷ましながら醤油のカドが取れるまで、味を見ながら粉黒糖を加える。甘くし過ぎないよう注意。味が決まったら、ハリッサをメインに中華調味料をごく少量ずつ混ぜて行き、辛味と味を整える。これらの代わりに、コチュジャンとヤンニョンジャンでも勿論良い。むしろ前者が代用品。
そのまま一晩寝かせる。
翌日、すりおろした玉葱一個分を多めの胡麻油をフライパンに入れ、弱火で30〜40分じっくり炒める。炒めるのが面倒な人は、オーブンで焼いてもいい。180~200℃、時々混ぜるのを忘れずに。これとリンゴで砂糖を減らし、自然な甘さを出すのが狙い。
炒め終わったら、一晩寝かせたタレの素に投入。更に下ろし生玉ねぎを投入(全部炒めると玉ねぎの香りが損なわれるので、生も使う)。下ろしリンゴとすり胡麻、粗挽き黒胡椒を加え、よく混ぜる。味を見て、お好みでおろしニンニクを追加するなり、一味唐辛子を加えるなりする、甘みがもっと欲しい時は煮切った酒に黒糖を溶かすか、味醂を煮切って加える、更に一晩寝かせて完成。
総量は2リットル近くになるので、分量は調節して下さい。
この方法で作った焼肉のタレは大好評。特に中国出身の奥様に大好評でした。
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2013年06月16日

余り食材で本格中華炒麺もどき

 焼きそばにオタフクソースが使われるようになって、私はソース焼きそばを外食で注文しなくなりました。甘ったるくて、ベタベタして気持ち悪いんだもの。あのソースは広島式お好み焼きに使ってこそ本領発揮だと思う私は頑固親父。
 さて、私は副業に料理をやっていたこともあるほどの料理好きです。かなり本格的なインド料理やイタリアンを作るので、本物の材料に拘る人と思われがちですが、元々は、そこにある材料で料理を創作するのが大好きなのです。ライブにおいて即興が好きなのと一緒。
 今日紹介するのは、余った食材で作る、本格中華炒麺のもどき、です。今回はキャベツ、大根、人参、キュウリ、ナス、ポワロ葱を使いましたが、前に作った時は、ズッキーニ、カボチャ、玉ねぎ、サヤインゲンでした。本当に、なんでもいいんです。

 材料:
  1. 余り野菜。余り肉または冷凍のシーフードミックス、ツナ缶、塩ジャケの残りなど、なんでも。今回はフランスなら大抵どこでも売っている、ラルドンという塩漬け豚肉の余りを使いました。味のついていない具材の場合は塩コショウで下味をつけておきましょう。
  2. 中華麺。こちらでは美味しい半生半乾の中華麺(ものすごく長いので切らないといけない)を、さっと茹でてから油を振りまぶして使っていますが、日本では中華街にでも行かない限り、売っていないと思うので、普通の焼きそば用の蒸し麺でいいと思います。細麺推奨。よくある極太麺やチャンポン麺は避けて下さい。あれで作ると別物になっちゃいます。ラーメン用の麺でも代用出来ますが、九州の低加水麺もやっぱり避けて下さい。食感が全然違うので。生麺を茹でる場合は茹で過ぎには十分注意しましょう。また茹で汁は捨てずにとっておいて下さい。後で食器や調理器具を洗うとき、使えます。中華麺や野菜の茹で汁って、油汚れをよく落とすんですよ。中華麺はカン水のアルカリですね、多分。野菜もほうれん草とか、アクの強いものほど効きます。
  3. 調味料:酒(紹興酒か日本酒、ワインでもいいと思う)、中華ペースト若しくは各種ブイヨン、各種中華調味料、醤油。
  4. 塩、胡椒、油(なんでも良いが、キャノーラ油やひまわり油の場合、ごま油を混ぜると風味が出て良い。オリーブオイル非推奨w 私はグレープシードオイルにごま油をブレンド)

 調理手順(3〜4人分):
  1. 具材となる野菜を細切りにする。ニンニクと生姜はみじん切りにします。
  2. 合わせ調味料を作る。カップに酒、又は水(4人分で50ccくらい。紹興酒があればベスト、日本酒でも可。酒がなければ水でも)に中華スープペースト(皇膳房の「味一番」推奨。}または各種ブイヨン、または顆粒鶏ガラスープ、豆板醤、甜麺醤、豆鼓、XO醤などの中華調味料を合計で小さじ二杯程度入れ、さらに醤油を小さじ半分程度混ぜる。この時点で調味料の味が濃すぎると、後に戻れくなるので、薄めに味をつけましょう。醤系に偏ると色が濃くなって見た目ソース焼きそばみたいになるので、これもほどほどに。
    中華調味料がない場合、塩と醤油少々だけでも全く構いません。
  3. フライパンに多めの油を入れ、野菜と肉類を中火で炒める。軽く塩コショウ。シーフードなどの場合は火が通り過ぎないよう、後から入れましょう。半分ほど火が通った所で、ニンニクと生姜の微塵切りを入れて全体に火を通す。火が通ったらボールにざるを重ねた上にあけ、油を切り、切った油はフライパンに戻す。
  4. 人数分の麺を用意する。
  5. フライパンにもし油がたりなければ追加して十分に熱し(油が足りないと本格中華っぽくならないので大胆に)、麺を全量一気に放り込む。放り込んだら何もせず、中火で焼く。時々持ち上げて様子を見て、最下層がパリパリになったらひっくり返して反対側も焼く。
  6. 反対側もパリパリになったら、弱火にして調味液を回しかけ、炒めた野菜を入れ、野菜が麺に程よく絡むまで混ぜて完成。
もし味が足りないと思ったら、酢をかけることをお勧めします。香醋ならなおよし、です。
ポイントは油を大胆に使うことと、麺をパリっとするまで、よく焼くこと(麺を入れて直ぐ動かすと、テフロン加工ではないフライパンの場合、逆にくっつきます)、調味料と具材を入れ戻したら弱火にして素早く混ぜることです。

FriedNoodles.jpg
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日本からフランスへ(その1)

 何故日本を離れ、フランスへ引っ越したか、その経緯を書きます。 そもそもの発端はこの出来事です。
 日本という国、個人が大企業や政府など、巨大組織に逆らった場合、個人が圧倒的に不利です。私の裁判も、和解で決着しましたが、よくアメリカの裁判であるような、ちょっとした被害に何億っていう賠償金を貰ったわけではありません。裁判に費やした時間と労力考えたら、完全にマイナスです。私が著作権問題で大企業相手に裁判起こしたよって、外国の友人達に伝えた時、一様に「おめでとう!君はもう一生働かなくていいね!」と言われました。でもそれは大きな間違い。
 さて、この違いはどこから?
 それは「懲罰的損害賠償制度」の有無。
 アメリカの裁判で被害者である個人に対し、腰が抜けるほどの高額賠償金が支払われるのは、この制度があるから。
 思いっきり簡単にわかりやすく例えると、被害者が受けたダメージを企業レベルに拡大して賠償させる、というもの。例えば、年収300万の人が、100万円相当の被害を受けたら、被害を与えた企業に、それに見合う割合のダメージになるような損害賠償支払いを命じる、って言うことです。年商30億なら10億とか。だからファーストフード店でやけどしただけで数億。
 要は弱者を強者のレベルまで仮想的に引き上げてイーブンにする方式なのです。
 日本は、これがない。だから100万円のダメージなら100万円しか賠償されない。しかも100万円で請求起こすと、大体大幅に減額されるので、あらかじめ多めに見積もって損害賠償請求します。変なの。
 でも実際は、私のようなフリーの作曲家が、クライアント企業に例えば500万円の損害賠償請求起こして100万円で決着したら、これはもう生きていけないくらいのダメージがこちらに残ります。大企業にとって100万円の損害賠償なんて、屁でもありませんが。
 何故100万円もらってダメージが残るかというと、仕事干されるからです。理由はどうあれ、日本ではクライアント様に逆らった下請け虫けら作曲家は許されないのです。私一応、権威ある学者さん監修で編纂された「日本の作曲家」という人名辞典に収録された作曲家ですが、そんなもの吹けば飛ぶようなステイタス。実際この裁判起こしてから、私は今日に至るまで、それまでメインの収入源だったCM音楽の作曲依頼、ゼロ。勿論これは想定内でしたけどね。全くなんちゅう社会文化。出る杭は打たれるどころじゃないですよ。体制に逆らうもの、よってたかって袋叩き、です。同業者からですら、バッシング受けましたから。余計なことしてくれるな、とか。
 聞く所によれば、様々なシーンで私の名前が出ると、広告代理店の人の顔色が変わる、って言うこと、あったそうです。キャリア的立場的に、避けて通れない裁判ではあったけれど、自分の名誉以外に、日本の作曲家達が置かれている不利な状況が少しでも変われば、という願いもあって始めた裁判でした。賠償金目当てなら、どうにかしてアメリカで訴訟起こします(^_^;)
 あれ以降、作曲家の処遇、多少改善された部分もあるのかもしれませんが、自分の作品が、その後どんな使い方をされようが一切文句は言わないと、作曲家に仕事引き受ける時念書を書かせる音楽プロダクションも出たと聞きます。糞でも食らいやがれ、あ、失礼、下品なので書き直します。大便でもお召し上がりください。
 その裁判おこして直ぐ、私は沖縄に引っ越しました。これにも様々な理由が複雑に絡み合っています。大企業相手に裁判起こすと、狙われるから、できるだけ遠くへ引っ越したほうがいいというアドバイスも数人の方から貰いました。でも、それが主な理由ではありません。当事住んでいた京都で、二年続けて大病を患ったのです。最初は喉頭蓋炎という、下手すると死に至る恐ろしい病気。二年目は視力を失うかも知れなかったほどの重篤な急性副鼻腔炎。この二つの病気に関しても一冊本が書けるくらい、面白いエピソードあります。ある病院の、とんでもないヤブ医者のお陰です。とにかく私、京都の夏の暑さには耐えられても、冬の寒さにはどうしても耐えられなかったのです。冬になると血行悪くなって目眩してたし。
 まあとにかく、温かい沖縄に引っ越したのですよ。沖縄では、CMと関係のない、劇団のミュージカル音楽とか、楽器メーカーの仕事とか、カレーの通販とか、自主ライブとか、そんな事やってました。沖縄は沖縄で、あまりの湿度の高さに、自宅にいて何もしていないのに、のぼせてふらつく、なんて事もありましたが。高湿度ゆえの関節痛にも悩まされました。でも健康的に痩せましたよ。
 沖縄で子供が生まれて、今のままではこの子が成人するまで、食べさせてやれないかもしれない、という不安が頭をもたげてきたのですね。景気はどんどん悪くなるし、あなたのような人にこそ仕事をお願いしたい、と言ってくれた侠気のある企業は潰れてしまうし。身内や友人が若くしてバタバタと亡くなって、しかもその全ての死因が癌か自殺かという、非常に辛かった時期です。たった一人の弟が急逝したという知らせを受けた直後、サンプラザ中野氏が我が家を訪れたのですが、彼の剃り上がった頭を見て、翌日自分もツルリンと頭を剃りあげたのもこの頃でした。
 そんな中、かねてより付き合いのあったフランスのシンセメーカーで、専属サウンドデザイナーが辞めた、と聞いて、その会社の社長に「◯◯辞めたんだって? サウンドデザイナーいないと困るだろ? 俺が行こうか?」ってメールしたんです。すると「いいね、じゃ、試験的に2ヶ月ほど来てくれ」という返事が。要はオーディションですが、これがきっかけで私、フランスに移住することになったんですよ。(以下次号)
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2013年06月15日

生乳(非加熱・非均質化処理牛乳)の話

 私の住むフランス、ローヌ・アルプ地方のイゼール県、グルノーブルエリアでは無殺菌牛乳(生乳)が手に入ります。スーパーマーケットには売っていませんけど、Bioショップや生産者直売のマルシェにはあります。 こちらに来て以来、スーパーで普通に売っている成分無調整のパスチャライズド・ミルクが美味しいので、主にこれを飲んでいましたが、それでも朝冷えた牛乳飲むと後から腹がゴロゴロして、時には下したりするので、コーヒーやシリアルに入れたり、ミルクティーにしたりなどがほとんどで、牛乳をそのままゴクゴク、と言うのは滅多にしませんでした。
 最近、子供のうちはともかく、年をとる毎に乳糖(ラクトース)が分解できなくなるので、牛乳は飲まないほうが良いという話を目にしますけど、成る程そうかもしれない、と思います。牛乳有害説には、あまり賛同できませんが。
 それとは別に、牛乳は高温で殺菌するほど成分が変質して体に良くない、という話もあります(昔『美味しんぼ』でも取り上げてましたね)。普通の牛乳は、120〜130℃でホンの数秒、一瞬で過熱する殺菌方法で、これは超高温滅菌牛乳というのだそうです。
 パスチャライズは低温殺菌で63〜65℃で30分間加熱、だそうです。他にこの中間的な高温殺菌牛乳というのがあって、70〜85℃くらいで十数秒間加熱したものを指すそうです。殺菌方法は日本だと牛乳パックの後ろに何度で何分とか何秒とか書いてありますね。
 ここで無殺菌牛乳(生乳)が登場します。搾りたて牛乳というのは、当然無菌できれいです。そりゃそうですね。搾りたての牛乳に有害な菌が入っていたら、それ、病気に感染した牛です。菌は絞った後の行程で付着し、繁殖するのでしょうね。
 で、この生乳、味も香りも、普段飲んでる加熱殺菌牛乳とは別物です。今まで牛乳の匂い、と思っていた独特のあの匂い、ありません。香りに集中すると、かすかに牧場の匂いを感じる程度。飲んだ感じも、口の中にふわっと広がる感じで、喉越しも柔らかい。朝、良く冷えたものをゴキュゴキュ飲んでも、腹は、全くゴロゴロいいません。下りません。と言うことはつまり、加熱殺菌のせいで、成分(タンパク質や乳脂肪)が体に悪いものに変化してしまうのかも知れません。
 そして生乳は、買ってから4〜5日経つと、味が変化します。酸味が出てくる、つまり乳酸菌発酵が始まります。これ、飲んでみましたが問題ありませんでした。味はヨーグルト。蜂蜜など混ぜれば、美味しくいただけます。コンディションによっては乳清と固形分すなわちチーズに分離することもあります。
 牛乳は、均質化処理したもの(ホモジナイズド)としていないもの(ノンホモジナイズド)があります。昔はホモ牛乳、ノンホモ牛乳と呼んでましたが、ホモという単語が同性愛を指す意味で使われるようになってから、ホモ牛乳という言葉を目にしなくなったかもしれません。
 さて、ノンホモ牛乳というのは、大抵低温殺菌牛乳である場合が多いのですが、これは静置して暫く経つと、上部にクリーム成分が浮いて固まってきます、これを分けて取り出せば美味しい生クリームとして、料理や菓子作りに使えます、量があればバターも作れるそうです。昔バターやアイスクリームの作り方を図解で解説した子ども向けの本があって、それ読んで作ろうとトライしたけど、いつまで待っても牛乳瓶の上にクリームが集まらず、作れませんでした。あれ、古い本だったので、まだホモジナイズド牛乳が登場する前に書かれたものだったのですね。大昔はノンホモが普通だったんでしょう。いい時代だなぁ。
 で、此処で無殺菌牛乳(生乳)が再登場します。生乳は絞ったままのミルクなので、加熱もしていなければ均質化処理もしていません。当然静置して時間が経てば、乳脂肪分が上がってくるのですが、不思議なことに加熱殺菌牛乳のようには、固まらないのです。瓶の内側にクリームが付着するのですが、瓶を振ると再びミルクに溶け込んでしまいます。加熱は脂肪分も変化させていたようです。でもよく考えたら肉の脂だって、一度加熱して溶けてから冷え固まったものは、元の脂の様には戻らないし、溶かしたバターも同じく、完全に元の姿には戻りませんよね。と言うことは、ここから生産される乳製品も、原料の牛乳が生乳か加熱処理乳かで質が違うことになります。
 そこで思い出したのが今年1月にアメリカで食べたフランスのチーズ。これがフランスで普段食べているものとは別物なのです。正直、美味しくない。フランスのスーパーで売っている大量生産品でさえ、はるかに美味しい。これには理由がありました。
 アメリカではフランスのチーズの輸入は制限されています。なぜかというと、州にもよるのですが、例えばカリフォルニア州では、なんと無殺菌や低温殺菌牛乳とその加工品は輸入も販売も禁じられているからなのです(!)。
 つまりカリフォルニアで売っている輸入チーズは、全て高温殺菌牛乳によって作られたものだけ、らしいのです。で、これが美味しくないのです。フランスで普通に売っているものとは(多くはは低温殺菌牛乳が原料だと思います)全く別物です。日本の牛乳だって、低温殺菌と高温殺菌、飲み比べたら味の差歴然です。加熱処理は牛乳の味や性質を相当変えてしまうようです。
 フランスにはフロマージュ・ブランという、乳脂肪防分の多いヨーグルトに似た発酵乳製品があります。これ、あまり好きじゃなかったのですが、ある日、農家で直販していた非加熱乳が原料のものを食べたら、全く別物なので驚きました。味もまろやかだし、舌触りからして、違います。
 勿論チーズも。スーパーの大量生産品よりチーズ専門店のもの、それよりさらに農家直販のものが美味しいのですが、これは恐らく、製法だけでなく、原料乳の加熱(高温・低音)・非加熱が大きく影響しているような気がして仕方ありません。私の住む地方ではトムというセミハードタイプと、ロブロションという、日本でお馴染みのカマンベールに似た白かびソフトチーズがローカルのチーズとして代表的なのですが、生乳を扱う生産者直売店で、同じ牛乳から作ったこれらのチーズを買って食べたら、今まで食べていたのと別物のように美味しくて(濃厚でまろやか、香りがいい)、私もうそれ以来病みつきです。生乳で作ったロブロションタイプのものは別の呼び名があるそうです。
 そんな訳で、フランスに限らず、非加熱・非均質化処理の生乳が手に入る地方に住んでいらっしゃる方々で、まだこれを未体験の方々は、是非是非お試しあれ。
 因みに値段ですが、私が買っているのは1リットル僅か1.2〜1.3ユーロ、スーパーのパスチャライズド・アンティエと大して変わらない値段です。勿論チーズも。
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2013年06月14日

シャラップ考

 国連拷問禁止委員会における上田人権人道大使(しかしもの凄い語句の羅列)のシャラップ発言のニュースを知って、最初に思ったのが、「シャラップ?なんだか懐かしい」だった。
 記憶を手繰ると瞼の裏には、幼い自分と若かりし頃の父親の姿が。
 「シャラーップ!」よく父がふざけて言うのだ。普段父は家の中で英語なぞ話さない。英語の歌が好きで良くエーデルワイスとか歌ってたけど。でもこのシャラップはどこから?
 更に記憶を手繰って思い出した。それはプロレス中継。
 昭和40年台は、プロレスはまだ国民的娯楽で、テレビ中継は高視聴率。試合と試合の間には何故か、「風神」という電気掃除機でリングを掃除するというセレモニーが放送される。なんで掃除機かというと、もちろん家電メーカーがスポンサーだからだ。
 このプロレスの試合中、外人悪役レスラーが、多分フレッド・ブラッシーだったと思うが、在りし日のジャイアント馬場や豊登など日本人レスラーへ声援を送る観客席に向かって「シャラーップ!」をしきりに連発し、これが流行したのだ。
 さて、上田大使に戻ろう。動画で演説を聞く限り、大使の発音は実に日本人的な、日本語訛りの英語。ヴァと発音すべきところはくっきりと、バになってるし、RとLが同じ発音になってる。それはいい、全然問題ない。
 気になったのは、何故Shut upだけが、シャラップ、しかもラが少し伸びてシャラーップ、に近いのか。
 英語の米語的訛化(合州国全てではないようだが)によってWaterがワーラー、Littleがリルウ、Laterがレイラーに聞こえるように、Shut upは米語的にはシャラップでいいのだけれど、彼の他の発音にそんな米語的訛化の影響は、ない。
 かねてよりアメリカの西部劇や戦争映画(シャラップが連発されるのは大体この二種類の映画)が大好きで、これらの映画にハマって英語の発音が影響されるほど、原語で繰り返し観ていたいたとしたら、他の言葉も米式になっているはずなのだ。
 そんな訳で、彼のあのシャラッープは、悪役外人プロレスラーの影響、とほぼ確信を持って推察するものであります。まあ、どうでも良いことなんですが。
 しかしあれです。既にあちこちで言われていますが、Shut up なんて、覚えても一生使わないかもしれない言葉の一つ。非常に強い命令形で、例えば学校で教師が、騒ぐ生徒を沈める時だって恐らく使いません。普通は「Silence!(静かに!)」
 現実にありうるのは、しょーもないことをいつまでも言い続けるダンナに奥さんが使ったり(逆は絶対にやらないほうがいい、きっとえらい目に合う)、口答えする子供を叱る親が使ったり、親しい間柄でふざけて使うとか、そんな程度。
 シリアスな場面では、口答えする下級兵に上官がとか(戦争映画ね)、保安官がチンピラにとか(西部劇ね)。看守が囚人にっていうのもあるかも。場合によっては喧嘩を誘発するかもしれないほど強い言葉です。
 もひとつ考えられるのが、拷問する側がされる側に使う場面。。。。

 大変だ。そんな言葉をあろうことか国連拷問禁止委員会人権人道大使が使っちゃったんだ。。。。orz

 シャラップ発言を音楽化しました。テルミンでやり切れない悲しさを表現してます。
 動画版(YouTube)


 DL用オーディオ(クリエイティヴ・コモンズ)
 これを元に、さらなるリミックスを作ったり、動画に当てたりして、どんどん広めてもらえたら幸いです。



posted by ubuman at 01:13| Comment(2) | TrackBack(0) | 考察